なぜ人は働くのかについて、なぜ私たちは考えるのだろうか
遠いむかし、私たちの祖先は獲物を追いかけたり、土を耕したりして生活していました。
生きていくために必要な食糧を得ることが、イコール働くということだった時代。
つまり、働くとは生きることそのものだった。
そんな時代に働く意味を考えている人なんて、おそらくいなかったでしょう。
時代は移り、文明が発達してくると階級社会が生まれ、一部の支配階級と大勢の支配される人たちで社会が構成されるようになりました。
近代社会の主流である資本主義社会においても、初期のころは労働力の搾取という意味合いが強く、人々は過酷な労働条件で働いていました。
これらの時代も、働く人のほとんどはその日を生きていくことに精一杯で、働く意味を考えることなどあまりなかったと想像します。
そしていま。
生きていくために働くということに関しては、現代社会でも同じだと思います。
生活していくために必要なお金を得るために、私たちは働いています。
ただ昔と違うのは、自分で選択できる自由が増えたことです。
私たちは自分がどんな分野で、どんな種類の仕事をするのか選ぶことができるようになりました。
ワークライフバランスという考え方が広まって、私生活に当てる時間が増え、働く以外の時間になにをするのか自分で選べるようになりました。
そのように選択できる自由が増えた結果、私たちは自身の選択や行動に意味を求めるようになったのではないでしょうか。
言い換えると、自分はなぜ働くのか、何のために働くのかということを自分自身で思い描く、つまり人生の目標設定をする必要性がより高くなってきたのではないかと。
もちろん、世代によっても価値観は違うと思います。
選択の自由が増えるほど、働くということ、ひいては人生においての意味を求めるようになるという仮説が正しいとするなら、若い世代ほどその傾向は顕著になってきているはずです。
では、なぜ私たちは働くのでしょうか。
『やはり生活の糧を得るためだ。それ以上でも以下でもない』と答える人もいるでしょう。
あるいは、『働くのは自分が成長するためだよ。成長する喜びを感じることができるし、成長するからより大きな仕事を任せてもらえるんだ。』という人もいれば、『いやいや、やっぱり商売はお客さんあってのものだから、お客さんに喜んでもらうために働くんだよ』という人もいると思います。
他にもいろいろあるでしょう。
私はというと、これまで『働くとは傍(はた)を楽にすることである』、つまり自分の家族や周囲の人のために働くのだという考え方が、もっとも自分に合っているなと感じていました。
しかし最近はちょっと心境の変化があり、『これからの時代、周囲のためになる働き方をするには、まずは自分のために働くという意識を持つことが大事ではないか』と考えるようになってきました。
自分が興味を持てる仕事
好奇心を刺激される仕事
働いていて心が喜ぶ仕事
そんな仕事をしていきたいと今は思っています。
自分で選択できる自由が増えてきた時代、平均寿命が延びて働く期間も長くなってきた時代だからこそ、まずは自分のために働くことを優先していきたいです。
それがやがて周囲の人のためになったり、社会貢献に繋がっていくのではないかと考えつつ。